夢を見る人 アラン
『夢はちょっとめざめかけても続いている。それは眠るしあわせ、すなわち休息の貴重な条件である無関心の命令である。したがって、夢の脈絡のなさはわれわれにとって別にどうということでもない。恐ろしい夢でもわれわれは、それを信じてしまうほど強く打たれない。アラン「アラン定義集』(岩波書店)』
夢は、不思議です。
甘いものが欠乏している環境で、甘いものが欲しいと、スイーツの夢を見ると聞いたことがあります。
でも、なぜか? それを食べられなかったと言うのです。
その環境では、現実でも食べられないし、夢の中でも食べられなかったと嘆いていました。
血糖値の状態など、身体の状態が発する欲求は、夢を見るイメージに働きかけているようにも感じます。
人間は、色々な夢を見ます。
夢の中で、何かのお告げを受けたという話もあります。
それは、宝に関することだったり、あるいは、自分自身の存亡に関することだったりするようです。
自分が恐ろしく感じる夢ならば、私ならば、深刻に塞ぎ込んでしまいそうです。
でも、冒頭のフレーズは、「恐ろしい夢でもわれわれは、それを信じてしまうほど強く打たれない。」と言うのです。
どんな夢でも、ダメージが少ないに越したことはありません。
自分の体験では、虫の知らせのような夢がありました。
それは、身体状態を気にしていた人が、熱にうなされて、かなりのダメージを負っていたと後から聞かされ、時間がその夢を見たときと似ていたのです。
個人的には、バラ色の夢は、あまり印象に残っていません。
どちらかというと、ネガティブなイメージが鮮明であれば、その内容を覚えているという感じです。
ウトウトと微睡むときに見る夢は、脈絡もなく、自分の意識から出ているようなイメージなのか? 何かのメッセージなのか? 分からないときがあります。
自分のところに、夢や幻が届くのならば、何かを覚悟する必要があるのかも知れませんね。
夢の意味を知りたくなる気持ちがよくわかります。
聖書の中では、ヨセフやダニエルが、王が見た夢の解き明かしをしたと記してあります。
その内容は、将来の存亡に関わることでした。
一般人には、そこまで、重要なお達しは無いかも知れないと思いますが、気になる夢を見たのなら、その人には、重要な役割があるのかも知れません。
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