好きよりもなんとなく好きが本命? 川端康成

『なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人のほうが、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れたあとってそうらしいわ。川端康成「雪国」(新潮社)』

「大好き」は、危険な領域だと思っています。

その理由は、突然の逆転で、「大嫌い」になる可能性があるからです。

世の中には、大好き同士でラブラブなパートナーが存在するの理解はしています。どうか永く続きますように。

でも、冒頭のフレーズは、良好な関係性について示唆しています。

それは、「なんとなく好き」の相手が良いのかも知れないと言うのです。

言い換えれば、ちょっと気になる存在というイメージでしょうか?

少し距離感があるプラトニックな関係が良いのかも知れません。

これは、男女関係で取り上げられるテーマです。

相手と密着しすぎたり、知りすぎるとマイナス面が出てくると言います。

それは、自分が「良いな」と感じて居る部分だけの情報が、知りたくないネガティブな情報を知ることになるからです。

ですから、逆に言うと、自分の中に良い思い出にしたい人とは、距離を縮め過ぎない事や知りすぎないことも必要かも知れません。

良い思い出を取るか? リアルな繋がりを求めるか? 究極の選択ですね。

自分にとって、周囲の人は、お互いに用事が無ければ、無関心で過ごしていけます。

学校のクラスなどでも、大好きな子、大嫌いな子、好感が持てる子、その他などに、無意識に分類しているように感じます。

大嫌いな子と将来、どの様な関係になるかは分かりません。

良い思い出と共に、良好な人間関係に囲まれて、生活していきたいと考えています。

『雪国』(ゆきぐに)は、川端康成の長編小説である。名作として国内外で名高い。雪国を訪れた男が、温泉町でひたむきに生きる女たちの諸相、ゆらめき、定めない命の各瞬間の純粋を見つめる物語[1]。愛し生きる女の情熱の美しく哀しい徒労が、男の虚無に研ぎ澄まされた鏡のような心理の抒情に映されながら、美的に抽出されて描かれている[1]。
1935年(昭和10年)から各雑誌に断続的に断章が書きつがれ、初版単行本刊行時の1937年(昭和12年)7月に文芸懇話会賞を受賞した。その後も約13年の歳月が傾けられて最終的な完成に至った[2][3]。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

未分類

Posted by dblacks