廃品利用のクセは抜けない
私の父親は、大工をしていた時代があり、住んでいた家の物置には、端材が多くありました。
それらを必要に応じて、加工して、再利用していたのです。
ノミやカンナはお手のもので、継ぎ合わせも良い感じに仕上げていて、以前の痕跡を除けば、機能は果たしていたのです。
それが、当たり前だという、光景を見て育ったので、どこかに染みついているようです。
今でも、木の切れっ端でさえ、捨てるのを躊躇します。
私は、ノミやカンナは使えませんが、何かの細工が必要になったときに、廃材の中から、リサイクルできるものを探そうとします。
本来ならば、設計ができたら、材料を手配して加工した方がスムーズです。
でも、そこに行くまでに、ワンステップ余分にかかるのです。
それで良いという意識が優位なのでしょうね。
再利用が推奨される時代には、評価される要素なのでしょうけれど、もっと、ニーズに沿ったキレイなものに憧れもあります。
廃物利用でつくったものが、くたびれてきたときに、リニューアルするというカタチになるのですが、間に合わせるという点では、良いのでしょうね。
願望は、あくまでもスムーズに、よりキレイにです。
これが、目指したい方向性です。
ここにも基準が必要です。
どの大きさまでなら残しておいても有用かという物差しを決めなきゃイケませんね。
これは、私の中の心理的要素ですから、自分の課題として取り組みます。
ときめくか? ときめかないか?
世界に広がるコンまり式を採用してでも、決めていく方が良いのでしょうか?
限られたスペースと相談しながら、決着をつけます。
廃材というネーミングも、再考の余地がありますね。
自分にとっては廃材ですが、その用途は、なんらかあるのでしょう。
行き先を分類して、旅立っていただきましょう。
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