認められると言うことについて
人間には、承認欲求があります。
それは、誰かに認められたいという願望です。
それが得られると、その人の存在が落ち着くのです。
シンプルなことなのですが、それを実感できずにいる人が多くいます。
その様な人は、どこかに、自分を承認してくれる場所がないか、探し回るのです。
それは、保護者との関係や身近なパートナーとの関係では、得られないのが悲劇の始まりです。
人間は、自分の理想像があって、自分がそれに近づくなら、自分を認めてやろうと考えるようです。
これを考えると、近くの他人よりも、もう一人の自分と言った方が正解だと考えています。
自分自身は、一人のハズですが、自分の中に葛藤が生まれることを考えると、実体と影があるようです。
どちらが、本来の自分であるのか、自分自身でも分かっていない可能性もありますね。
俳優の堺雅人が主演した「VIVANT(ビバン)」の「F」のようなキャラクターと言った方がわかりやすいかも知れません。
ドラマの中では、主演俳優の葛藤を言語化しているので、滑稽さの演出にもなっているようです。でも実際は、心の中で起きているコトですから、もっとシリアスなイメージがあります。
このもう一人の自分との折り合いがつけられると、自分自身の存在が落ち着くというメカニズムです。
それは、自己承認であり、時々起きる葛藤を有益にできる解決点になり得るのです。
そのような、自己承認には、自己受容が入口にあります。
どのような考え方が、自分の中に対立していようとも、それを包み込んで、受容できるという所からはじまるのです。
その糸口をつかむことができれば、他人に承認欲求を突きつける事もなくなります。
不思議なことに、自分の中の荒波が、凪に変わる瞬間もおとずれるのです。
どこに出かけなくても、自分が居るところが、居心地良くなるのです。
もう一つの驚きの変化は、周囲からの見方が変わるのです。
それは、自分が自己承認したように、他者も承認をしてくれるようになるのです。
例え、それがなくても、自分自身の存在に揺らぎを感じなくなります。
このメカニズムは不思議と言うしかないのですが、実際にあるのです。
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