生きるとは? 時間とは? ミヒャエル・エンデ

『時間とは、生きるということ、そのもの。そして人のいのちは心を住みかとしている。 ミヒャエル・エンデ』

本家のドイツについで世界で二番目に日本で売れている「モモ(児童文学)」の中に出てくるフレーズです。

ナチスの召集令状を破り捨て、反ナチス運動に参加していたミヒャエル・エンデにとって、自分のいのちを脅かす勢力に関して抱いていた嫌悪感のような雰囲気を、私は感じます。

大衆は、権力に飲み込まれ、ささやかな自分の自由さえも奪われるという光景はショッキングであり、その状況を児童文学のカタチとして描写していたのではないでしょうか?

小学生に聴診器で、心臓の鼓動を聴かせながら「いのちの授業」をしていた日野原重明医師のことを思い出します。

時計が時間を刻むように、人間も心臓の拍動によって生きている。

そして、心にいのちが宿るという流れは、抵抗感なく受け入れられるのではないでしょうか。

でも、現実的な時間の使い方を問われると、ToDoリストにせき立てられるような日々を過ごしている人が多数いそうですね。

当事者でなくても、家族の中に一人でも、そのような人がいれば、モモの心境が理解できると思います。

「時は金なり」と時間が貴重であるという表現があるが、それは、いのちと合わせて考えるならば、置き換え不可能な「掛け替えのなさ」を滲ませているようにも感じられます。

時間の使い方は、生き方、そして、いのちをどのように扱うかに、かかっているのですね。

解釈
ストーリーには、忙しさの中で生きることの意味を忘れてしまった人々に対する警鐘が読み取れる。『モモ』という物語の中は、灰色の男たちによって時間が奪われたという設定のため、多くの書評はこの物語は余裕を忘れた現代人に注意を促すことが目的であると受け止めた。編集者の松岡正剛は、「エンデはあきらかに時間を『貨幣』と同義とみなしたのである。『時は金なり』の裏側にある意図をファンタジー物語にしてみせた」と評した。
「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせるという側面もある。このことについて、エンデ本人に確認を取ったのはドイツの経済学者、ヴェルナー・オンケンである[7]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%A2_(%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%96%87%E5%AD%A6)

ミヒャエル・アンドレアス・ヘルムート・エンデ(Michael Andreas Helmuth Ende, 1929年11月12日 – 1995年8月28日)は、ドイツの児童文学作家。父はシュールレアリスム画家のエドガー・エンデ。日本と関わりが深く、1989年に『はてしない物語』の翻訳者佐藤真理子と結婚している。また、日本の黒姫童話館にはエンデに関わる多くの資料が収集されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%92%E3%83%A3%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%87

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Posted by dblacks