その友(大切な人)のためにいのちを捨てる
「人、その友のために己の生命を棄つる、之より大いなる愛はなし。(ヨハネ15:13)」
北海道で、身動きの取れない吹雪の中、孤立してしまった父と娘、父が娘に覆い被さるようにして保温し、娘は助かり、父は凍死するという出来事がありました。2013年3月のことでした。
なすすべのない状況で、唯一できることが、身を挺して、娘を守ることだったのでしょうね。父親の愛の極みですね。
人間は、例外なく父と母の間に生まれてきます。
しかし、約2000年前に、唯一の例外がありました。
それは、「婦(おんな)の裔(すえ)(創世記3:15)」と預言されていたメシア(救世主)であるイエス・キリストでした。
「イエス・キリストの誕生は左のごとし。その母マリヤ、ヨセフと許嫁したるのみにて、未だともにならざりしに、聖霊によって孕り、その孕りたること顕れたり。夫ヨセフは正しき人にして、之を公然にするを好まず、私に離縁せんと思う。かくて、これらの事を思いめぐらしおるとき、視よ、主の使、夢に現れて言う『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納るる事を恐るな。その胎に宿る者は聖霊によるなり。かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。己が民をその罪より救い給う故なり。』(マタイ1:18-21)」
つまり、DNA的には父親はヨセフではなかったのです。
正しき人と記されているヨセフには、身に覚えがなく、どうしようかと深刻に悩んでいたことでしょうね。
ですから、マリヤが聖霊によって、つまり、創造主の介入によって、妊娠したと言うことなのです。
アダムの子孫である人間は、DNAを引き継ぎ、その中にアダムが犯してしまった取り返しがつかない失敗(罪)の性質をも受け継いでいたのです。
その罪から全人類を解放するために、イエス・キリストが肉体に宿って誕生したという訳なのですね。
そして、十字架に磔になり、死に葬られ三日目に復活し、罪科を完済したのですね。
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