完璧主義からの脱却するために
「おぎゃあ」と言って産まれ出た時から、やがて息と引き取る時まで人間は成長し続けるのだそうです。
「おぎゃあ」と言っていた頃は、おっぱいからおむつまで、すべて、お世話になっている状態ですね。
少しづつ、失敗を重ねながら、自分でできることが増えていき、自立へと成長していくのです。
昨今では、「反抗期」という言葉は、他の言葉に置き換えができないかという議論もあります。
でも、表現は適切ではなくても、自立に向かう成長過程で、養育者の手助けを大袈裟に言うと拒絶するという驚異的な心理変化なのですね。
これに、社会性が織り込まれてくると、柔軟性が増して、他者との協業が可能になっていくのですね。
自立と協業するためのバランスがケース・バイ・ケースで非常に塩梅が難しく悩みのタネになっていることも事実です。
自分は完璧になるという方向性はいいとしても、補間してもらえる要素があれば、協力を素直に受け入れていくとスムーズに行く可能性が大きくなるのではないでしょうか?
それは、アダムの子孫である人間が背負っている重荷(罪)をメシアであるイエス・キリストに委ねるという救いの基本でもあるのですね。
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