人生七味とうがらし
『私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。ガラテヤ5:16-26【新改訳2017】』
ミッキーカーチスが扮する怪しい占い師が「人生七味とうがらし、うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ。人を翻弄するこれら7つの性は、いずれも自他の比較に由来する。他人と比べる中でしか自己を見ることのできない人の宿痾であり業であるが、これと正面から向き合うことで人生の味わいもいっそう深まる」などと言っているのを聞いて、この聖書の句を思い出しました。
これは、他者比較の中でなんとかして、自分の優位性を獲得するためにもがく時の悪態を表現しているのでしょうか?
聖書によれば、「肉のわざ」と「御霊によって生き」ることとの対比が示されています。
前述の人生七味とうがらしは、「肉のわざ」の中に列挙されています。「…うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったり…」というくり返しが人間の歴史でもありますよね。
でも、「御霊の実」を選び取るなら、律法からも解放され、神の国を相続することができるとも書かれています。それが、永遠の幸福マインドで今ココを生きると言うことなのですね。
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