器について
『私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。(2コリント 4:7新改訳2017)』
人間の身体は、土の塵を原料として作られています。
ですから、肉体的生命を終えると、土に返るのです。
ですから、パウロは「土の器」という表現を使っているのですね。
そういう点では、人間の身体も創造主である神からの授かり物なのですね。
バイオテクノロジーが進んでも、いのちを作り出せないのが人間の限界なのですね。
『大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用いられます。ですから、だれでもこれらのことから離れて自分自身をきよめるなら、その人は尊いことに用いられる器となります。すなわち、聖なるものとされ、主人にとって役に立つもの、あらゆる良い働きに備えられたものとなるのです。(2テモテ2:20-21新改訳2017)』
食器など、金や銀の器でないにしても、たいてい、どこの家にもあるモノです。
しかし、食事用や掃除用など用途別に使い分けますね。
人それぞれにも、向き不向きがありますし、完全な器でもありません。
でも、装いや自分の願望から解放され、神に委ねると、神の器として用いられることになるというのですね。
余談ですが、おしゃれな皿もいつかは割れてしまいます。そんな皿をモザイクに活用して使うというリサイクルもあります。
ご興味がある方は、下記サイトご参照下さい。
https://acidcow.com/pics/98979-broken-plates-art-16-pics.html
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