ヤコブ(おしのけるもの)という誤解
『その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。(創 25:26新共同訳)』
ヤコブというワードには二つの意味がある。
その一つは、「かかと」もう一つは「追い出す、追い立てる者」である。
この後者を用いて、ヤコブを否定的に語るキリスト教界の歴史がある。
ヘブル的解釈においては、ヤコブはエサウの「かかと=アケブ」をつかんでいたので、ヤコブと命名されたという肯定でも否定でもない中立の立場をとる。
『二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。(創世記25:27新共同訳)』
兄エサウに対する「巧みな狩人」という表現は否定的なモノで、ニムロデと同様に扱われている。
ヤコブに関しては「穏やかな人(タム)」と記されているが、このワードは、ノアやヨブを表す「正しい」という意味なのですね。
注意する必要があるのは、彼自身ではなく「神に対する姿勢が正しい」ということなのです。
「天幕」というワードも「家族の中で責任を果たして生きる」かどうかの基準になるようですね。
イサクはジビエ好きで、エサウが捕らえてくる獲物が大好物だったのでエサウびいき、リベカはヤコブびいきでした。
この一面で考えるなら、、イサクは俗物好きで、リベカの方が神の想いに近かったのですね。
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