平和をつくり出す人

『平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9新改訳2017)』

平和とは、自責からも他責からも解放されることかも知れません。

別な言葉で言うと「誰からも咎められない」という表現のが分かりやすいでしょうか?

そもそも、平和な状態というのは、どのような時に訪れるのでしょうか?

経済的にも満たされていて、社会的にも安泰で、家庭も穏やかな時とイメージすると、かなり現実とのギャップが広がるようにも感じられます。なぜなら、人生の中で、順風満帆なときは、それほど長い期間ではない人が圧倒的に多いからです。

船に乗っていて、嵐に遭遇しても、大丈夫と思っていられるかどうか、個人差も大きい話だと思いますが、それが平気だったのは、ガリラヤ湖上でのイエスくらいかも知れません。

ほとんどの人間は、船が転覆や沈没したらどうしようとガタガタと震えるのです。無論、私も、ガタガタと震えます。でも、嵐の中でも大丈夫と平気で寝ていられる主イエス・キリストが共にいてくれるから大丈夫なのだと感じられる時に、穏やかな気持ちになれるのですね。

平和の源である存在との関係が大切なのですね。

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Posted by dblacks