願いが聞かれる 詩篇6:9
『【主】は私の切なる願いを聞き【主】は私の祈りを受け入れられる。(詩篇6:9新改訳2017)』
ダビデの祈りです。
主の御前で、自分の心を注ぎ出す祈りをしていたのですね。
その祈りは、「嘆きで疲れ果て」るほど、また周囲を憚らず「泣く声」をあげるほどの真っ直ぐなモノだったのですね。
彼は、人間の欲望や能力をトコトンまで追い求め、たびたび、罪を指摘され、それでも、自分の罪に逃げ込み続けること無く悔い改めて、主に心を注ぎ出すことによって、天の助けを得ていた人生でした。
今は、スキャンダルがあると、すぐに、公職を引きづり降ろされる傾向があります。ただし、違うケースもありますね。居直って居座る続ければ勝ちのような風潮は困りものですけれどね。
このダビデが、たびたび罪を犯しても、なお用いられたのは、この祈りの姿勢、つまり、創造主である神に対する信仰態度が義と認められたということに尽きますね。
人生は、失敗だらけ、傷だらけという要素もあります。これは、人間ならば誰でも味わうことですね。
これを乗り越えていくには、このダビデの祈りと信仰態度をモデルにすれば良いのですね。
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