明日は? 今日は? 島﨑藤村
『明日は、明日はと言って見たところで、そんな明日は何時まで待っても来やしない。今日はまた、瞬く間に通り過ぎる。 島﨑藤村』
明日が来たかどうかは、今日の時点ではわかりません。
それこそ、明日になってみなけりゃわかりませんね。
時間の流れる感覚は、自分自身でも、時と場合によって差があるなあと感じています。
何かに没頭していると、時間はあっという間に過ぎていき、時間が足りないと感じます。
一方、ナカナカ進まない課題に直面していたり、楽しめないと感じる状況に身を置くと、時間がとても長く感じたりします。
この箇所を書きながら、以前の記事にも取り上げた聖書のフレーズで、『だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ6:34新共同訳)』を思い出しました。
自分のイメージの中で、現実的に、「今日のこと」と「明日のこと」へのペース配分で悩ましいこともあります。
自分の思考整理としては、「明日のことを考えて段取りや準備をすることは必要だけれど、今日のことを蝕むほど明日のことに占領されないように気をつけること」と考えるようにしています。
一番大切なのは、「今」であり、「今日」だと考えること、次に、明日が来ると考えて、そのために必要な準備をするという優先順位ですね。
ちょうど炊飯器に、明日の朝食べる予定のご飯を用意して、タイマーをセットしておくイメージですね。
理想を言えば、メリハリをつけて、集中や熱中できる時間、インプットする時間、アウトプットする時間、ディスカッションする時間、また、インプットもアウトプットもしないメディテーションタイムを持てると良いなあと考えています。
周囲からのプレッシャーのかかり具合によって、マイペースを保つのにも課題がありますが、今日の分を果たして、明日へ備えたいと考えています。
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