格差を許容できるか、是正を求めるか?
いつの時代にも格差ができます。
その格差を是正しようと政治体制が変わっても、やがて格差が表面化してきます。
共産主義ならば、格差がないと信じている人もいるかも知れませんが、実際には格差はあるようです。
社会主義ならとか、自由主義でないととか「○○主義」という政治体制の差だけではないようです。
その国を統制する為に、独裁者とか特権階級という層ができるのが、一番の懸念のようです。
世界を見渡しても、どの国にも、少なからず格差があると聞きます。
はたして国民は、その差を受け入れられるのか? 是正を求めるのか?の比率が問題です。
今は、その格差を甘んじて受けなくてはいけない人たちが多くいる時代です。
是正を求めるエネルギーも方法も見当たらないという声を聞くと非常に胸が痛みます。
でも、格差を放置していて、是正の努力が出来なくなると、国自体が衰退してくるでしょうね。
そうなると、実際に困るのは誰か?
疲弊している民は、生き延びられるのか? という懸念もでてきます。
日本では、最低年金よりも生活保護の方が手厚いという指摘もあります。
国によっては、感染症の失業給付に、増額部分が加算され、さらに、ロックダウンなどの特別給付があるなど、国や地域によって様々ですが、格差は意外な方向に広がっている現状もあります。
経済的な生活のバランスや労働時間の適正化など、非常に難しい調整が求められる時代ですね。
ただ、疲弊している箇所が多すぎて、本当に助けが必要な声が、黙殺されてしまう懸念もありますから、政治的な動向を含めて、注視していく必要があると考えています。
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