イスラエルの召命 出エジプト19:3-9

『モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて言われた。「ヤコブの家にこのように語り イスラエルの人々に告げなさい。あなたたちは見た わたしがエジプト人にしたこと また、あなたたちを鷲の翼に乗せて わたしのもとに連れて来たことを。今、もしわたしの声に聞き従い わたしの契約を守るならば あなたたちはすべての民の間にあって わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。あなたたちは、わたしにとって 祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。」モーセは戻って、民の長老たちを呼び集め、主が命じられた言葉をすべて彼らの前で語った。民は皆、一斉に答えて、「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います」と言った。モーセが民の言葉を主に取り次ぐと、主はモーセに言われた。「見よ、わたしは濃い雲の中にあってあなたに臨む。わたしがあなたと語るのを民が聞いて、いつまでもあなたを信じるようになるためである。」モーセは民の言葉を主に告げた。(出エジプト19:3-9新共同訳)』

21世紀の時代でも、イスラエルという国、ユダヤ人という人たちは、世界の注目を集めています。

各分野で、才能に秀でた人たちの多くは、ユダヤにルーツを持つともいわれています。

でも、創造主である神の目的は、ユダヤ人を選びの民として、メシアであるイエス・キリストへの系図を確立し、全世界の全人類に対する救いの計画を示すことにあったのです。

つまり、アブラハムを召し出し、イサク、ヤコブへと引き継がれ、飢饉に直面しエジプトに下って生き延びたのも、人間的には理不尽に見えるヨセフが、奴隷として売られた所から、創造主である神の保護と導きにより、ファラオに次ぐ地位にあったことも大きな要素でした。

その後の奴隷状態からの解放は、実にドラマチックであり、後世で映画化されたほどです。

創造主である神の保護は、「鷲の翼にのせ」とされるような、厳しい自然界の中での手厚い保護をイメージさせます。

ですから、この時のイスラエルの民は、先祖からの伝承と、自分たちが体験した出エジプトの体験があったのです。

これだけあれば、感謝できるはずと、後世の私を含めて傍観者は考えてしまいがちです。

しかし、手厚く保護されていて、満たされている時ほど、「もっと、もっと」という思いもムクムクとわき上がってくるのではないでしょうか?

「無い物ねだり」と言った方が分かりやすいですね。

愛情の確認行為であり、承認欲求のなせる事なのですが、あまり、やり過ぎると色々な関係が壊れてしまうという経験をお持ちの方々もお見えになると思います。

「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います」

と、イスラエルの民は一斉によい返事をしたのですが、どうなるのでしょうか?

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Posted by dblacks