絶望と愛と生きる アルベール・カミュ
『生きることへの絶望なしに、生きることへの愛はない。 アルベール・カミュ』
人生には大波小波は付き物ですが、バラ色の人生は、長くは続かないようです。
時には、生きていることが辛く、いっその事、死んだ方がマシかも知れないという気持ちになることもありますね。
それは、「自分なりに生きていく方法が見つからないので、死ぬ以外に解決策を思いつかない」ということのようです。
実際に、「死ぬしかないんかな?」と言っていた方が、落ち着きを取り戻した時に、「あの時、どうして死にたいと話をしたの?」再確認したら上記の内容でした。
希死念慮の理解は様々で、それぞれに状況や事情も違います。
でもこのケースでは、そのような考え方の流れで、「死」という言葉が口をついて出てきていたのです。
人生には「死」をイメージするほどの絶望があるのですね。
でも、アルベール・カミュのフレーズには、「愛」があります。
彼は、フランスの小説家、劇作家、哲学者として活動をしました。
カミュの文学的営為は、病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、全体主義など、人間を襲う不条理な暴力との闘いだった。それに対して、彼は一貫してキリスト教や左翼革命思想のような上位審級を拒否し、超越的価値に依存することなく、人間の地平にとどまって生の意味を探しもとめた。彼は「父」としての「神」も、その代理人としての「歴史」も拒否した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%A5
彼は、生への意味を求めて生きていたのです。
彼なりの命をかけて探求をした生涯だったのですね。
「生きることへの愛」というイメージをどのような感じますか?
「バラ色の人生こそ生きるコト」とのイメージや「試練困難を超えていくコト」こそ人生の醍醐味などと、人間の価値観は、実に多様です。
私は、与えられた生を全うするために必要なのが、本当の愛であり、その愛と繋がることこそ、究極だと考えています。
また、失敗や試練困難を必要以上に避けずに、向き合う気持ちを大切にすることを心がけたいですね。
カミュが、『「父」としての「神」』を拒否したという一文も気になります。
「父性に対する嫌悪感や欠乏感がそのような気持ちを抱かせたのかな?」と推察しています。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません