安息日と日曜礼拝の関係性 ヘブル4:9-11 ヘブル10:25

『したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残されています。神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。ですから、だれも、あの不従順の悪い例に倣って落伍しないように、この安息に入るように努めようではありませんか。(ヘブル4:9-11新改訳2017)』

安息日は、創造主である神が、創造の業を6日間で成し遂げ、7日目に仕事を離れ安息したことに由来しています。

これは、シナイ契約に記され、創造主である神と礼拝するイスラエルの民との関係において用いられました。

真に礼拝する民の信仰を育てるために、他の民と聖別する必要があったのです。

その信仰は、週に一度の安息日、7年ごとの安息年、そして、50年目にはヨベルの年(ジュビリーと言われる)という規定までありました。

それは、創造主である神がすべてを満たしてくださると言う信仰を持たせ、確立させるためでもありました。

当時の厳格な安息日規定(違反したら誰でも必ず殺される)を守りながら、幕屋の建設を成し遂げたのです。

『ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。(ヘブル10:25新改訳2017)』

新契約時代の信仰者はどうなっているのでしょうか?

日曜日の午前中に礼拝を行う教会が多いですね。その理由は、メシアであるイエス・キリストが復活したのが日曜日であること、世間的に日曜日が休日というものが定着していたなどの理由からでしょうね。

7日に一度、仕事を離れて休息を取るというのは、身体的にも精神的にも必要なサイクルだと説明されることもあります。

しかし、社会生活の変化に伴って、日曜日に仕事をしなければならなかったり、試験を受けなくてはいけなかったりというケースが増えてきました。

以前の教会には、様々な論議がありました。「聖日を厳守(集団によっては死守)せよ」であったり、「世とは聖別するべき」や「世の中で生き抜いていくために必要なコト」というそれぞれの価値観による対立です。

これにより、多くの人はその集団を離脱せざるを得なくなりました。非常に嘆かわしい事です。

今の時代の礼拝は、日曜日の午前中に限らず、自分の生活ペースに合わせて、週に一回、定期的に行えばよろしいのではないでしょうか? 礼拝の目的は、仕事や雑事を離れて、創造主である神が成し遂げてくださった御業に心を留めて感謝を共有することなのですからね。

インターネットの時代の恩恵は、自分のスタイルに合う礼拝を視聴できるという点にあります。

「ハーベストタイムミニストリーズ」のメッセージなどは、聖書に基づいた励ましを受けたい方にはオススメです。

自分で、時間を聖別して献げることは、創造主である神との交わりの時間であり、主と自分との喜びの共有なのです。充実した時になりますように。

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Posted by dblacks