「もったいないから残すな!」という呪い 好きなモノを選べない習慣に
食物が乏しい時代には、「もったいないから残すな!」と良く言われたと聞きます。
フードロスが社会問題になっていますが、外食産業やスーパーなどが大半で、家庭に絞り込めば、どれくらいの影響になるのでしょうね。
フードロスのニュースや大食いの番組を目の当たりにすると、「今日食べるものがない人に届けてあげられないものか」とブツブツ言っています。
確かに、モッタイナイので、ロスはできるだけ無くしたいです。
でも、この「モッタイナイ」というフレーズは呪いのような呪縛になりかねない局面が出てきます。
それは、いわゆる終活の段階で、モノを処分しなければならない時によく起こる事件です。
今は、それがなくても生活ができるのに、「まだ使えるからモッタイナイ」とか「いつか使うからモッタイナイ」などと言い出して、収拾がつかなくなるのです。
そのような局面を客観的に見ている時には、「なぜだろう?」思うのですが、誰でも大なり小なりあるのですね。
私も保留しているモノが沢山あります。「スッキリしたいなー」と考えつつも手放せないのです。
それらを考えていたら、冒頭の「もったいないから残すな!」という言葉が脳裏をよぎったのです。
人間は、何かの反動で、真逆の行動に出てしまう一面があります。
モノがない時代に育った人は、モノを貯め込むようになる傾向が高いと指摘する人もいます。
経済的に満たされれば、ついつい、すぐには使わないであろうものを買ってしまうのかも知れません。まるで、自分の心を満たすかのような欲求の表面化なのでしょうか?
一方、食べきれないほど豊かな食卓で、自分が食べるものを選んでいた人たちは行動が違ってくるように想像します。
私が注目するのは、豊かに並べられてある中から選ぶ感覚です。
この差は、非常に大きいでしょうね。
「自分にとって、何が大切なのかを選ぶという習慣」も大切だと感じました。
さて、私は、「この地上生活を一緒に過ごすものを選ぶ感覚」でオーディションを開催することにします。
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