必死で生きる 上杉謙信
『生を必する者は死し、死を必する者は生く。 上杉謙信』
上杉謙信と言えば、戦国時代から安土桃山時代に活躍した戦国武将ですね。
享年の49歳まで、このフレーズで生き抜いた並々ならぬ逞しさを感じます。
戦う時に、命が惜しすぎて、腰が引けていたり、必要な対決を避けたりしていけば、多少の延命はできるのかも知れませんが、活路を見出す方向性は達成しにくいのではないでしょうか?
でも、常に戦うことが好きすぎても、無駄に血を流したりして、疲弊をもたらし、自らも思わぬ所で、いのちを奪われかねません。
適度なスタンスで立ち回ることが大切なようです。
上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代に越後国(現在の新潟県)など北陸地方を支配した武将・大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。越後を統一したほか、関東や北信地方、北陸地方(越中国以西)に度々出兵した。戦国時代でも戦上手とされ、その戦績から後世、軍神や、「越後の龍」[1] などと称された。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/上杉謙信 参照 2021年11月15日)
「死を必する」とは、人生は命をかけた真剣勝負なのですね。
人の生死は、本当に不思議です。長寿の人もいれば、短命の人もいます。
健康に、人一倍、気をつけていた人が、意外に短命だったり、不摂生の塊のような人が長寿だったりします。
口では「死にたい」と言う人の大半は「生きていたい」「今とは違う生き方をしてみたい」と思っているのだそうです。
そうであれば、どれだけ伸び伸びと自分らしく生きられるかということになりますね。
生かされている期間は、限られていますから、思い切って取り組めることにチャレンジするのが良いです。
失敗を積み重ねて、より強固な足場を作っていった方が良さそうです。
「ウマくいかなかったら終わり」という呪いの言葉は、失敗が死を意味するという意識を植え付けてしまいます。
大切なのは、チャレンジの仕方と方向性、そして、リカバリーできる方法論ではないでしょうか?
「どうやら、ウマくいかなかったらしい」と感じた時に、また、再チャレンジをしていけばよろしいのですね。
自分が雁字搦めで、身動きがとれなくなるような無謀な行動は、チャレンジと言うより、丁半博打の世界ですから、切り分けて考える必要があります。
いのちの用い方は、自分自身に選択権があります。
人生は、チャレンジの連続ですが、腰を入れた真剣勝負をしていきたいですね。
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