圧政と友好的の大差
人間の歴史を約6000年と考えている筆者ですが、その中で理想の政治体制が、どれほどあったのかについて私は懐疑的です。
特に、国という形態になり、統治者が国王なのか元首なのか、はたまた、大統領など様々なかたちがあります。
でも、人間が人間を統治するのは、非常に難しいのですね。
それは、家庭の中の人間関係を見れば一目瞭然です。
夫婦や親子など、保護する保護されるなど主従の要素を伴いますから、友好的でありたいと考えながらも、その実は、支配的な圧政ができてしまっているのでしょうね。
これが、国の規模となれば、友好的に統制がとれるのは、どれほどのことでしょう。
意見の違い、文化の違いを利害調整することも並大抵ではありません。
侵略したり、侵略されたりが、歴史の一面でもあります。
そうなれば、外部から来た侵略者に対しては、友好的になるのは、非常に困難です。
家族が、犠牲になったりすればなおさらです。
いろいろな要素を含みながらたどり着く所は、圧政で国を無理矢理まとめるということなのでしょうね。
圧政と友好的の差は、自由意志の有無です。
友好的な間柄では、それぞれの自由意志は最大限尊重されます。
しかし、圧制下では、制限を受けるか、個人の自由意志は全く無くなります。
これを自分の人間関係に当てはめて考えてみる必要性を感じます。
そうすると、良好な付き合いが長くできている関係は、お互いに自由意志を制限しない友好的な関係だとわかるはずです。
一方、腐れ縁の類いもありますので、縁があるので仕方なくのお付き合いは、それなりの距離感で置いておく必要も感じています。
しかし、圧政(DVや虐待)のような付き合いを継続しているなら、いつの日にか、いのちの危険も伴ってきますから要注意です。
案外、自分を犠牲にしてお付き合いをしているケースもあるので、定期的に関係性のチェックが必要です。
ちなみに、創造主である神は、人の自由意志を100%尊重されます。
永遠の備えをすべて整えた上で、愛のまなざしで、全人類の一人一人に友好的に寄り添っておられるのです。
これが、創造主である神と人間の「天と地ほどの差」なのですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません