めぐみの時代 エペソ2:8 2コリント6:2
『この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。(エペソ2:8新改訳2017)』
『神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。(2コリント6:2新改訳2017)』
「メシアであるイエス・キリストの誕生~十字架と復活」で述べたように、創世記3:15で約束された人類救済は、AD33年頃、メシアであるイエス・キリストの十字架による死、葬り、三日目の復活で完成されました。
その時点から、めぐみの時代になっており、これは患難期の前まで続きます。
そして、信仰態度はそれぞれの自由意志に委ねられています。
一番重要なのは、「信仰によってのみ救われる」という事です。
救いは、献金や奉仕によって提供されるものではなく、創造主である神からの「恵み」であり、賜物(プレゼント)です。
それを、有難く信仰で受け取れば、「永遠の生命保険の契約成立」です。
よくある誤解は、何か行為をしなければ救われないという考え方です。
救いは、神の愛を受け取ることが最優先課題です。行為が先であれば、人間が何かの能力を駆使すれば、救いに到達できるということになりますから本末転倒です。
かつてのバベルの塔も、人間のチカラで天に到達しようという企みでしたが、創造主である神に留められました。創造主である神に到達できる方法は、メシアであるイエス・キリストが身をもって完成した事の他にありません。
信仰による救いの次に、献金や奉仕があります。これは、神の愛を実感した人が、心から自発的にする事で、意味深いモノとなります。決して、他人に強制されることではありません。自発的にできる事を心からするのが一番大切です。
さらに、信仰に根ざし、神の愛を実感する立ち位置からの行動は、創造主である神の証しにもなります。神の愛を理解できていれば、まずはそれでOKです。その原点を知り、毎日立ち返ることで、不安要素から解放されて、自分の課題に、エネルギーを集中できるのです。
この順序が、整理できていないと、信仰生活に歪みが出てしまいます。
もし、信仰者であると自認している方や、牧師や教師であると自認している方が、何かモヤモヤしていたとしたら、この優先順位に「ボタンの掛け違い」があるのかも知れません。
今は、創造主である神を信じられないし、信仰に無縁だと考えていらっしゃる方にとってのチャンスは、メシアであるイエス・キリストの再臨の前までです。
「今は恵みの時、今は救いの日」と記されているように、今がチャンスです。
これからの終末時代についてのあらましは、次の項で述べます。ぜひ、お読み下さい。
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