星空を見上げながら
従姉妹は、毎晩のように、星を見ていたら、視力が「2.0」を維持できていると言っていました。
視力が弱い私は、近くを見る時間が多いので、視力検査がコワいです。
最近は、街の明るさが星を見えにくくしている要素もあると思います。
でも、視力によっても、見える星の数は、差が出てくるのですね。
天を見上げて、星を鑑賞する事は、どれくらいの星が見えるという数ではなくて、その時間、その雰囲気に浸ると言うのが、人生を豊かにするのかも知れませんね。
その時間を確保すること。
その場所を確保すること。
その選択からはじまります。
星との距離は、人間の感覚からすると、計り知れません。
光の速度でも、かなりの時間を要すると説明されます。
ですから、その時に見ている光を発している星が、現存しているのかは不明です。
その光を発した後、流れている可能性も否定できません。
そもそも、天体はどの様な目的で、造られたのかさえ、人間は知る由がありません。
聖書の中には、次のように記されています。
『15:5 そして主は、彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」創世記15:5新改訳2017』
イスラエルの祖、アブラハムに対しての創造主である神【主】からの語りかけです。
天を見上げることを促されました。
また、「星を数えられるなら数えなさい。」と言われたのです。
どうやら、人間には、数えられないような大量の星が造られているようです。
アブラハムは、この星に希望を持ったことでしょう。
そのアブラハムを信仰の祖とする信仰者は、この星を見上げ、アブラハムの希望を共有することができるのです。
星を見て、心が安らぐのは不思議だと感じています。
創造主である神【主】は、そのように造られたからなのでしょうね。
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