権力にすり寄りゴマをする? 箴言19:4

『財産は多くの友を増し加え、貧しい者はその友からも引き離される。(箴言19:4新改訳2017)』

「貧すれば鈍する」と言い回しがあります。

「貧乏になると性質や頭の働きまでも鈍くなる。また、貧乏するとどんな人でもさもしい心をもつようになる。」という意味で使われるフレーズです。

人間は、持っているつもりのモノに、振り回されてしまう傾向があります。

ルカ伝福音書15章に登場する、放蕩息子の話が分かりやすいかも知れませんね。

彼は、父親に申し出て、生前贈与を申し出て受け入れられました。それを持って、旅に出たのですが、財産があるうちは豪遊して、まるで、砂糖に群がるアリのように、群がる人たちがいました。彼は、人気者になった気分だったでしょう。しかし、お金が尽きると、誰にも相手にされなくなりました。

客観的、冷静に見ていると、当然のことだと考えますが、自分のことにして考えてみるとどうでしょうか?

周囲にいる人は、組織や家柄、あるいは財産が目当てで、寄ってきているのではないでしょうか?

でも、世の中は権力にすり寄ってでも富を得るという、商魂たくましい人たちが多くいるのです。

そして、「山吹色の小判を仕込んだ菓子折」を差出し、「おぬしもワルよのう。」というやり取りをしているのかも知れませんね。

サラリーマンを勤め上げた男性の嘆きを聞くことがあります。

現役の時は、年賀状や中元や歳暮が困るほどあったのに、卒業した途端、ほとんど無くなると言うのです。

そのギャップに、ショックを受ける人が多いようです。

あきらかに、そのポジションに対する贈り物だったのでしょうね。

そこを離れてから、僅かでも、個人的な繋がりで、付き合える人がいるならば幸せですね。

それは、人徳という一種の財産でしょうから、非常に素晴らしい間柄だと思います。

本当の財産とは何でしょうか?

利己的な我力では、自分も周囲も疲れてしまい、徒労に終わってしまうことが安易に予想できます。

それは、根無し草のようで、我力がなくなれば枯れてしまいます。

大切なのは、地味であっても、常に湧き出す温泉のようなエネルギーではないでしょうか?

その温かさ、癒やしが、周囲の人に、潤いを提供します。

それを求めて、自然に人が集まってくることでしょうね。

それこそ財産なのです。

それは、創造主である神と、適切に繋がり、日々の交流を得て、エネルギーの共有を受けることにこそあるのです。

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Posted by dblacks