カリスマ性の功罪

「カリスマ」という言葉は、もともと神学用語で使われていました。それは、神から授けられた超自然的な恩恵や能力を意味しています。

かつて、出エジプトのリーダーに【主】から任命されたモーセは、特別な能力を授けられ、ファラオの前でキセキを行いました。これは、モーセがスゴいのではなく、人間であるモーセに【主】が一時的に能力を授けたから実現したのです。

でも、そのようなことが、人々の心を引きつける強い魅力に繋がっている最大の要因です。

現代社会では「カリスマ経営者」というイメージが強くなりました。

人間的な魅力に限らず、リーダーシップや人々をまとめるチカラを評価されるのです。

その要素は、前向きで明るい雰囲気や周囲に振り回されない自分の意志をもち、自慢話をせず、冷静さを保ち、不安や弱音を漏らさないような人です。

それには、自己確立し自己肯定感があり、人の話を聞く器量と心のゆとりを持ち、無意識に周囲の人を巻き込んでしまう部分を持ち合わせているのです。

それだけではなく、明確な目標を持ち、辛くてもターゲットまでたどり着く強い意志を持ち合わせていると魅力が倍増するのでしょうね。

ただ、カリスマ性が引き寄せるのは、自己確立した人ばかりではありません。

依存性の高い人も寄ってきます。

カルト的集団では、依存性が高い人を餌食にする傾向もあります。リーダーのカリスマ性だけが魅力の集団は、いつかピークアウトするでしょう。

何か共有できるポリシーを持つ集団は、リーダーだけのカリスマ性が魅力の集団よりも持続力が高いように感じます。

健全なカリスマ性に優れたリーダーシップは、人間を自立へと促します。でも、自己受容から自己確立に向かう方向性は、なかなかハードルが高いのですね。

できるだけ自立した人間と、対等に付き合えるように、自分自身、日々、自己確立し切磋琢磨したいと考えています。

カリスマ‐せい【カリスマ性】
人々の心を引きつける強い魅力があること。多くの人から支持されること。

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Posted by dblacks