愛ってなんだろう? 箴言14:20
『20 貧しい者はその隣人にさえ憎まれるが、富む者は多くの者に愛される。 箴言14:20新改訳2017』
「愛ってなんだ?」
これは、利害関係の影響を受けている現実をイメージします。
それは、「富む者は多くの者に愛される。」という部分に強く現れています。
そもそも、「利害関係を離れた純粋の愛」というのが、ドラマの中の話のように感じられる世の中です。
それを考えると、かなり寂しい気持ちになりますね。
どうしても、人間にはお金が必要ですし、外見が信用できそうか否かは、重要な要素でもあります。
貧しそうな身なりをしていれば、信用を得にくいですし、敬遠されがちです。それを見越して、わざと貧しそうな雰囲気を醸し出しているお金持ちもいます。
世の中の正解が何かは、それぞれの価値観によると思います。
人間の価値を考えてみると、「being(存在)」「doing(行為)」「having(所有)」の要素が挙げられます。
見える所は、「所有」や「行為」です。どうしても、これが目立ちますよね。
人間同士の愛は、かなりの部分は、この2つで判断されています。
しかし、見過ごされがちな「being(存在)」にこそ、その人の存在価値があるのです。
良好な関係性の根っこの部分には、これが欠かせません。
実際に良好な関係を築けているのなら、お互いの「存在」を尊重できる「愛」があるのでしょうね。
その人自身が存在価値なのです。
これを愛せるかどうかにかかっています。
明確に違うのは、人間と「創造主である神【主】」の「愛」です。
【主】の愛は、常に変わらず、人間の「存在」に対して注がれています。
それは、無条件の「愛」です。
そして、【主】が「永遠の御腕」で、人間を支えるという約束があります。
これは、全人類のために約束され、また、永遠の生命も全人類誰も漏れることなく用意されていますが、それを自分の自由意志で受け取らないと権利を失ってしまいます。
その無条件の愛に気づいて、感謝して応答できる人は、「永遠の幸福マインド」で生きられる人です。
人間は、その「【主】の愛」に包まれて生かされているのですね。
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