喜びの源泉 ヒルティ
『働きのよろこびは、自分でよく考え、実際に経験することからしか生まれない。それは教訓からも、また、残念ながら、毎日証明されるように、実例からも、決して生まれはしない。 ヒルティ』「幸福論」(第一部)
リアリストという表現を本人が許容するかどうかはわかりませんが、彼のスタイルからはそのような空気感が伝わって来ます。
このフレーズに至っては、「働きのよろこび」に関してですが、その根元へ導いていくような流れで形成されている。
その柱には、「自分でよく考え」ることと、「実際に経験すること」があげられています。
働きのイメージは、労働とか使役、それは、言われて行うことですから、まったく思考が伴わなくも無いでしょうけれど、積極性には、遠い感じがします。
ここで、あげられている「働き」は、自ら能動的な、そして、主体的な類いのモノをイメージさせます。それには、さまざまな思考が不可欠ですね。
また、思考を働かせるだけではなく、それを行動に移し、それから得られた経験が大切と言うのです。
別な表現をすると、毎日の積み重ねこそ、「働きのよろこび」を得続けるための源泉なのでしょうね。
誰かから聞いた教訓や他の人の体験談からは、得られるモノではないと指摘されています。
一番重要なのは、自分の人生を自分で考えながら生きるということなのだと感じます。それは、その結果や経過を受けとめるという大切な要素を通じて、「働きのよろこび」を増やしていけるのですね。
自分自身の意志を行使している実感こそ、大切であり、その範囲で選択する自由があり、あらゆる思考を働かせる事ができるのです。
DIYや料理をイメージするとわかりやすいのではないでしょうか?
自分にとって必要な何かを作るとき、それの用途やデザインを一所懸命考えます。そして、つくりながら考え、できてから反省するのです。その経験は、自己評価の点数が何点であっても、充足感が得られるでしょう。
料理の場合は、比較的早く結果にたどり着けるので、くり返しのサイクルがわかりやすいですね。
健康のこと、仕上がりの風味、食べやすさなどを考えながら、効率的になど、さまざまな思考が必要です。まあ、盛り付けの美的センスは、それぞれの芸術性ですが、ある程度の達成感があればOKですよね。
この日常の積み重ねから、喜びを得て行きたいと考えています。
カール・ヒルティ(Carl Hilty、1833年2月28日 – 1909年10月12日)は、スイスの下院議員を務め、法学者、哲学者、著名な文筆家としても知られる。日本では『幸福論』、『眠られぬ夜のために』の著者として有名。
敬虔なキリスト教徒として、神、人間、生、死、愛などの主題を用いて、現代の預言者とも評されるほどの思想書を書き残した。また、そのようなテーマに深く踏み込んでいながらも、彼の著作には、非現実的な、空想的要素は含まれないという特徴がある。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません