生きる目的 ドストエフスキー
『人間存在の秘密というのは、たんに生きるということにあるだけでなくて、何のために生きるのかということにあるからだ。 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(光文社)』
「どうして生きるのか?」という疑問が渦巻いている時代です。
生きることにダルさを感じている人が増殖していますから、当然の反応なのでしょうね。
「生きる意味」について、葛藤しはじめると、迷宮に入ってしまうことがあります。
誰かに問うてみても、自分が期待している答えは返ってこないことも少なくないでしょう。
そもそも、人間は、魂を創造主である神【主】に授けられた存在です。
その存在は、魂を授けた、創造主である神【主】が承認しているのです。
出生にどのような事があっても、あなたの存在は、肯定されているのです。
また、「生きているのか?」「生かされているのか?」という論議もあります。
両方の側面はあります。
時には、自分の中で、どちらを大きく感じるでしょうね。
突き詰めて言えば、肉体的には、寿命を目指して生きているともいえます。
ただ、この寿命は、人間には分かりませんから、あとどれくらいという測り方はできません。
人生をもろもろ計算で乗り切りたいタイプには、難問の1つになります。
不確定なものが、不安を膨らませ、決心を鈍らせることもあるからです。
生きるとか生かされるという中に含まれる要素は、不確定な要素だらけ、自分では寿命を決められない事を受け入れない限りは、身動きを取るのさえ難しくなってしまうでしょう。
引きこもりなどの膠着状態が起きるのも、これらが要因の一つになるとも考えられます。
それは、希望が持てない状態です。
信仰者として、生きることに向き合う時に、また、違う感覚が生まれます。
信仰者は、肉体的生命の次のステージをもイメージしています。それは、空中携挙、再臨、千年王国、新天新地です。
それらは、肉体が終わるという近未来だけではなくて、永遠への希望なのです。
まるで、山脈が幾重にも重なったように、次から次へと広がるイメージです。
このサイトでのメインテーマは「永遠の幸福マインド」です。
今ココを生きると言うところから、輝く御国新天新地までの道筋、一つ一つにワクワクとした希望を抱いているのです。
それぞれに生きる希望が発見されることを願っています。
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