主を頼む生活に 箴言3:25-26
『25 にわかに起こる恐怖に、悪しき者たちの来襲に、おびえるな。
26 【主】があなたの頼みであり、足が罠にかからないように、守ってくださるから。 箴言3:25-26新改訳2017』
力強い箴言です。
世の中は、ますます、邪悪な勢力が堂々と闊歩しているような時代になりました。
いつ自分が何かに巻き込まれてもおかしくないと感じるような状況です。
白昼に起きる強盗事件や思い込みによる殺人、逆恨みによる殺人など頻繁に起きているイメージがあります。
思い込みによる殺人をした加害者の大切なモノは、「いのち」その次が「お金」だったそうです。
でも、4人のいのちを奪った加害者の行動した結果を見ると、自分の「いのち」が一番大切だったと感じます。
親は、もろもろその子に引き継がせようと、様々な努力をしていたようですが、その方向性は、結果を見ると違っていたのかも知れません。どこかに、ボタンの掛け違えがあったのでしょうか?
親子関係の複雑さは、このケースだけではなく、人間がいるところに様々な多くのケースがあります。
その中で、コミュニケーションが上手くいき、スムーズな継承ができたケースも多くあります。
それらは、トラブルになっていませんから表面化しません。上手くいかなかったケースは、歪んだカタチで流布される傾向が大きいですね。
恐怖や罠があちこちにある世の中での安心材料は確保しておきたいです。
その点は、信仰者の希望にあります。例え、いのちが奪われることになっても、天にショートカットできるからです。
その根拠は、聖書の中にあります。それは、メシアであるイエス・キリストが十字架の贖いを完成し、全人類の罪の代価を完済して下さったことです。
創造主である神【主】は、エデンの園で罪に陥ったアダムとエバに約束したことの成就です。
肉体のまま生きることは、人間にとって非常に辛い一面があります。それで、寿命という期間限定にされたと考えることもできるのではないでしょうか?
でも、その人の思いや行動の裁きということにも備えが必要です。十字架の贖いは、正にその為の備えだったのです。
そこに、「究極的な大丈夫」があったのです。
それは、「福音の三要素」を信じる人に対する「永遠のいのち」つまり「永遠の幸福」の約束です。
これこそ、「【主】を頼む」事なのです。
これが、あれば「何があっても大丈夫!」という気持ちで過ごすことができるのです。
でも、身を守るためには、慎重さも必要です。事態を見極めながら、適切な対処をするためにも、大丈夫マインドで冷静に行動したいですね。
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