豚に真珠とは? ヨーロッパのことわざ マタイ伝7章
『◇豚に真珠(ヨーロッパのことわざ)
「新約聖書」の「マタイ伝」第7章に「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう」とある。高価な真珠を豚に与えてもその価値が分からないことから、「貴重なものも価値の分からないものには無駄である」ことの例えとして使われる。しかし、聖書の教えは「豚を見下すことは、自分自身が豚になる」ことへの戒めの言葉としても解釈される。』
ヨーロッパのことわざとして紹介されているこのフレーズです。
しかし、そのルーツは、新契約聖書のマタイ伝7章5節6節から、「偽善者」に対する警告に記されている内容です。
この箇所では、真珠とは、神の福音を指しています。また、聖なるものとは、【主】に属するものです。
創造主である神【主】に属するものをわからない人にむやみに提供しようとしても、ムダだという理解ができます。
山上の垂訓で語られたキリストの教えは、前述の適用ができます。
その例えに用いられた比喩は、そのものの価値がわからない相手に、どのような対応をするかの示唆なのです。
また、相手の状態を観察して、適切なコミュニケーションを持つ事が大切だという教訓を学べる要素です。
一般的には、「貴重なものも価値の分からないものには無駄である」という言い回しとして多用されています。
まさに、その通りで、その価値を共有できない事は、残念なことで、疲労感を増幅させることになります。
でも、価値が理解できない相手に対して、見下したりするのも、自分の価値に影響を与えます。
人間の価値観は、千差万別ですから、その差は、個性として捉えられると平和的な関係構築に繋がります。
「豚を見下すことは、自分自身が豚になる」という戒めは、含蓄がある言葉であり、これを聞く一人一人が、自分の胸に問うことでもあるように感じています。
そもそも、人間は、その存在において対等です。
もちろん、年長者に対する尊敬、弱者に対する思いやりなども考慮する必要があります。
「子どもは来た道、老人は行く先」とも言います。
いかに、相手と目線を合わせて、価値観を共有するかは、ハードルが高いチャレンジだと思います。
でも、より良い関係を構築するためには、大切なテーマなのですね。
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