霧中に生きる ヤコブ4:13-14

『 ◆誇り高ぶるな
よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。(ヤコブ4:13-14新共同訳)』

人間は、生きている限り、何らかの経済活動をする必要性があります。アダムとエバの失楽園以降に、「土を耕して…」と労働により対価を得るということになっていますね。

人の一生は、「長いように感じても短い」など、人生観によって様々な感想もあります。

人生に向き合うスタンスも、「太く短く」とか「細く長く」とか「太く長く」などという強者までいますね。それぞれの価値観ですから、一人一人の自由なのですね。

しかし、現実問題は、その通りいくことはほとんどないでしょうね。

商才に富んでいる人が、どれだけ金を積んでも、決して買えるモノではないですね。

高価な薬や高額を要する治療などの選択肢の巾は広がるようになっては来ましたが、昔から求められてきた「不老不死」の薬は実現されていません。

人間が見ている現実的な将来は、いつの日にか財産と肉体をおいて、どこかに引っ越すということになっているのですね。

老後2000万円の備えが必要だというレポートがどこかに葬り去られてしまった不思議なやり取りもありましたね。でも、一人一人の課題は、老後の後の備えをすることなのではないでしょうか?

まず、永遠の備えをして、今の課題に取り組むと、気持ちも違うのですね。どうなるのだろうという不安が、やがての希望に変わるのですから、不安にエネルギーを吸い取られずに済みますね。

五里霧中というような先が見通せないような不安な時代に、自分が霧のように消え去る前に、備えをすることが勧められているのですね。

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Posted by dblacks