マラでの苦い体験 出エジプト15:22-26

『モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。しかし、彼らには水が見つからなかった。彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲めなかった。それで、そこはマラという名で呼ばれた。民はモーセに向かって「われわれは何を飲んだらよいのか」と不平を言った。モーセが【主】に叫ぶと、【主】は彼に一本の木を示された。彼がそれを水の中に投げ込むと、水は甘くなった。主はそこで彼に掟と定めを授け、そこで彼を試み、そして言われた。「もし、あなたの神、【主】の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、わたしがエジプトで下したような病気は何一つあなたの上に下さない。わたしは【主】、あなたを癒やす者だからである。」(出エジプト15:22-26新改訳2017)』

水は、生き物にとっての生命線です。

荒野を三日間歩いて、ようやく見つけたマラ(メラと発音することもある)の水は、とても苦くて飲めなかったようです。

最近販売されているペットボトル水には、硬水と軟水があると言われています。

軟水は、日本人にとって飲みやすく馴染みやすいのです。

しかし、硬水はカルシウムやマグネシウムの含有量120mg以上で、口当たりが重く苦みを感じます。

ここから考えると、マラの水はこの硬水だったのかも知れませんね。

この荒野の中で、出エジプトしたイスラエルの民と家畜の生命を維持するためには、何としても飲める水が必要だったのです。

イスラエルの民は、せっかくの水場にたどり着いて喜んだのに、苦い水だったので、さぞ、落胆したことでしょう。

モーセに対して、「われわれは何を飲んだらよいのか?」というのも理解できますね。

モーセは、創造主である神に叫ぶと、「一本の木を示され」それを「水の中に投げ込むと、水は甘くなった。」と記されています。

多くの民と家畜を潤すために十分な水が供給されたのですね。

モーセが出エジプトの民を率いることができたのは、自分が解決できないコトを創造主である神に、「民の一員として叫んだ」という部分にあるのですね。それは、モーセの謙遜な一面を表しています。

この民は、自分たちにとっての困りごとができると、リーダーであるモーセに習慣的につぶやくようになるのです。

これは、モーセを通り越して、創造主である神へのつぶやきなのです。

これも、イスラエルの民に対する荒野における実践的訓練であり、創造主である神との正しい関係を維持するため、やがて導き入れられる約束の地への備えなのですね。

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Posted by dblacks