契約の箱とキリスト シャカイナとは?

『言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネ1:14新共同訳)』

『初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(ヨハネ1:1新共同訳)』

創造主である神の真の目的は「インマヌエル」であり、人と共に住まうことでした。

その為に、出エジプトの時に、人の中に幕屋を張る必要があったのです。

でも、それは、ひな型であり、メシアであるイエス・キリストご自身が幕屋(神殿)だったのです。そこに、神の栄光が表されたのです。

ヨハネ2:19で「この神殿を…3日で立て直す」と宣言されたのは、十字架の贖いと3日後の復活を表現していたのです。

神がそこにいることを示す「臨在」は、ヘブル語で「シャカイナ」と発音します。さらに、そこに栄光が表されることを含めて「シャカイナグローリー」という表現があります。

この言葉から、ギリシャ語で「スケイネイ(住まう)」という造語が生まれました。

創造主である神の第二位格、メシアであるイエス・キリストが肉体に宿ったことを示すことばが「スケイネイ」でした。

どうして、神が人のカタチ(肉体)に住まう必要があったのかが大切なポイントです。

それは、最初の人間アダムとエバが陥った「罪」の解決を確立するためでした。

そして、「唯一の方法で実現する」と創世記3:15に宣言されていました。

それまでの間、イスラエルの民は、ひな型を通じて信仰を表明する契約でしたので、それに基づいて、犠牲の動物を幕屋(神殿)で献げていました。

その契約は、旧契約でしたが、新契約というモノと繋がりがあったのです。

その新契約とは、100%神であり、100%人間であるメシアであるイエス・キリストが、たった一人の義人として、全人類の罪科を背負い、十字架に架けられ、全血を注いで死に、葬られ、三日目に復活をする事によって、それを自分のためだと信じる信仰者は「罪」を免除されるというモノです。

旧契約の犠牲はひな型で、本体はメシアであるイエス・キリストご自身だったのです。

はじめから存在し、神であり、やがて、肉体に宿り、人とともに住み、恵みと真理とに満ち、父の独り子としての栄光を表した唯一無二のイスラエルの民が熱望していたメシアだったのです。

人間が描くシナリオならば、正義の味方が、公衆の面前で敵をバッタバッタと切り倒して勝利を収めるというイメージかも知れません。

当時のイスラエルの民も、弟子達でさえも、その様なイメージを持っていたような印象を受けます。

しかし、現実に起きたことは、理不尽にも、公衆の面前で悲惨な死を遂げるというコトでした。

昔、大祭司が年に一回、至聖所の契約の箱のフタに、犠牲の血を注いだように、メシアであるイエス・キリストご自身が、そのフタに覆い被さるかのように「死ぬ」コトこそが、唯一無二の永遠の扉を開く、大切なステップだったのです。

その贖いは、「十字架に付けよ」と叫んだ一人一人のためでもあったのです。

その究極の目的は、民の中に住み、肉体の中に住み、信仰者自体を幕屋(神の宮)と、密接な関わりを確立する為でした。

ココにこそ、神の愛があるのです。

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Posted by dblacks