試されている人間 箴言17:3
『銀にはるつぼ、金には炉、人の心を試すのは【主】。(箴言17:3)』
いつの時代にも、ニセモノがハバをきかせているようです。
「金(GOLD)」は希少価値があり、取引の保証にも使われたりしています。
しかし、その金の地金でさえも、同じような比重の安価で作れる特殊合金に置き換わっているというウワサが出回っています。
金は、腐食しないので、産業的にも重要な部品に多用されています。
近年は、金の採掘が一時期よりも難しくなったので、希少価値が高まり、金地金の相場も大きく上昇しています。
実際に取引する場合に、金地金を溶かして、中身を確かめる必要があるという話もあります。
技術が進歩した現代社会ですが、特殊合金を作る技術も向上していることから、電子的なテスターでは、ニセモノを判別できないケースもあるようです。
金属は、るつぼなどで溶かして不純物を見分けます。
しかし、【主】によって、人間の心も試されています。
どのように装っても、口先で取り繕っても、心が露わにされると言うのです。
立派に見えるコトがしたいと願っていても、利己的な動機が見え見えになってしまうのです。
でも、それは、【主】によって、不純物が取り去られ、純化されるのならば悪い話ではありません。
人間は、反省をしますが、悔いが残ることが多い傾向があります。
【主】の究極の目的は、「人間が悔い改めること」ですから、その後に「悔い」が残ることは望んでいません。
どうしても、【主】の試しを裁かれるという審判を受けるかのように感じてしまいます。
本当のところは、大切なマインドを残しながら、【主】の愛で包み込んでくださろうとしているのです。
ニセモノを取り除き、ホンモノとして生きるためにも必要なステップですね。
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