心の中の争いを追放 箴言22:10

『嘲る者を追い出せ。争いは出て行く。もめごとも辱めも終わる。(箴言22:10新改訳2017)』

嘲るという言葉は、「ばかにして悪く言ったり笑ったりする。(デジタル大辞泉)」という意味があります。

その程度の差に開きはあると思いますが、冗談や冷やかしのつもりでも、嘲られた当事者にとっては、気持ちがよいものではありません。言われっぱなしの人は少ないでしょうから、非難や批判合戦に発展する事が目に見えています。

誤解されがちな事があります。「傲慢や怠惰」は目につきますから、それを指摘する忠告的な要素は大切にする必要があります。これは、嘲りには含まれませんね。

組織的な視点
会社や学校などで、「できる」という人には羨望や嫉妬の眼差しが向けられ、「できない」と言う人には、状況を揶揄するような視線が向けられます。実際には、視線だけではなく、悪意が感じられる言葉かけや嫌がらせが行われることもあります。

どうして、でしょうか?

人格を否定し、貶めるようなアプローチが、近年、ますます増えたように感じます。

人間には、能力の差があり、向き不向きがありますから、それを考えた上で、様々な配慮をする必要がありますね。

バックアップやフォローをしないで、嘲るだけでは、争いやもめごとは増え、無用な辱めを受ける人が増えます。

それは、組織的にデメリットしかなく、きちんとした対応がなされないと、その組織は機能しなくなります。

家庭的な視点
家族構成も様々ですが、それぞれに個性を持っています。家庭の中にも、嘲りはあり、時には蔓延ることがあります。モラルハラスメントという形で色濃く出ることもありますね。

夫が妻や子を嘲ったり、時には、妻が夫や子を嘲ったり、色々なケースがあります。

これらが、原因で家庭崩壊に至るというケースが非常に増えています。

それぞれが、同じ目線でコミュニケーションができるようにならない限り、改善は難しいのです。

個人的な視点
人間の最小単位は個人です。社会の中に居ても、家庭の中に居ても、変わりません。

他人を嘲るクセがついている人は、実際の所、他人ではなく、「もう一人の自分」を嘲っているのです。それに気づく必要があります。

大切なのは、一人一人の心です。

それを再点検する必要があります。

その心から、嘲る者がいなくなれば、争いやもめごとはなくなり、辱めも終わるのですからね。

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Posted by dblacks