喜びのカタチ ミヒャエル・エンデ

『世の中には喜びの形は何千何万とあるけれども、それはみな、結局のところたった一つ、愛することができるという喜びなのだと。愛することと喜び、この二つは一つ、同じものなのだ。 ミヒャエル・エンデ』

「愛される喜び」を味わってみたいと考える人は、寂しさの中にいる人なのかも知れませんね。

「愛することの喜び」を味わった人は、愛されるという見返りよりも、自分が愛する喜びをエネルギーとして生きていく事ができるのです。

人間は、愛の表現をバラエティー豊かにできる生き物です。

また、難易度から考えてみても、「愛される」ことよりも「愛する」ことの方が、簡単なのかも知れません。

その対象を誰にするかを定め、ロックオンするかという課題ですね。

それができれば実行するだけです。

「愛すること=喜び」という式をどのように味わうかですね。

孫の世話なども、その一つです。

実際、体力だけではなく、経済力も必要だというぼやきも聞きますが、エネルギッシュな孫のエキスをもらったり、癒やしをもらったりと、何かとギブアンドテークが成立しているようです。

愛し方にも、コツが必要でしょうね。

相手の為になるからと、説教だらけでは、喜びからは遠のいてしまうかも知れませんからね。

良好なギブアンドテークができるような、愛し方の流儀を探って育んでいきたいと考えています。

ミヒャエル・アンドレアス・ヘルムート・エンデ(Michael Andreas Helmuth Ende, 1929年11月12日 – 1995年8月28日)は、ドイツの児童文学作家。父はシュールレアリスム画家のエドガー・エンデ。日本と関わりが深く、1989年に『はてしない物語』の翻訳者佐藤真理子と結婚している。また、日本の黒姫童話館にはエンデに関わる多くの資料が収集されている。

『はてしない物語』(はてしないものがたり、Die unendliche Geschichte)は、ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる、児童向けファンタジー小説である。1979年刊。
前後半に分かれる2部構成。前半では主人公の少年・バスチアン(Bastian)がひょんなことから手にした本『はてしない物語』に描かれた世界「ファンタージエン」の崩壊を救い、後半ではバスチアン自身が「ファンタージエン」の世界に入り込み、そこでの旅を通じて本当の自分を探す。物語の本筋から反れた際に「これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」という言葉で、本筋に戻ることが特徴。また、主に前半部分においては、バスチアンのいる現実世界ともう一人の主人公アトレーユが旅をする本の世界(ファンタージエン)の2つの世界を並行して描いており、現実世界でのストーリーは赤茶色の文字、ファンタージエンでのストーリーは緑色の文字で印刷されている。

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Posted by dblacks