永遠から永遠の源 箴言8:22-23

『22 【主】は、ご自分の働きのはじめに、そのみわざの最初に、わたしを得ておられた。23 わたしは、大昔に、初めに、大地の始まりの前に、立てられていた。(箴言8:22-23新改訳2017)』

人間は、被造された世界の時計しか知りません。ですから、永遠の概念をイメージするのは非常に困難が伴います。

また、どれだけ科学が進歩したと言っても、自然界のメカニズムを解明するには至っていません。これには、科学者のジレンマもあるようで、何とか説明をつけようとしているようにも感じられます。

むしろ、わからないままクローン分野に侵入するなど、かなり危ういことをしています。

人間には分からない事があるのだと認めて生きる大切さを信仰者は理解している領域があります。

天地創造について、科学的な論争が続いていますが、「【主】がそうされたのだ。」と信じる方がスッキリするという立場えおとる人は少数派のようです。

『16 あなたの目は胎児の私を見られあなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々がしかもその一日もないうちに。(詩篇139:16新改訳2017)』

魂を人間に授けるのは【主】です。人間は、出産の後に年齢のカウントを始めます。でも、【主】のカウントは、卵子が受精した瞬間からはじまるのです。一人一人が、【主】に認知されているのです。

そればかりではなく、「いのちの書」に記されるのです。

それは、全人類一人も漏れる事なく為されているのです。

つまり、【主】の愛に包まれている存在が人間なのです。

『29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。30 今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。(マタイ6:29-30新改訳2017)』

名前も知らない野草でさえ、【主】が創造され、維持されています。そのサイクルも不思議に満ちています。実に多くの種が蒔かれ、その季節になると、キレイな花を咲かせて、人間を癒やしてくださるのです。

花の蜜が虫を呼び込み、その身体についた花粉が運ばれて、受粉がなされるという共生環境が完璧に設計され、現実のモノとなっているのです。

正に、いのちのサイクルです。

「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」との問いかけは、心に沁みますね。

それは、見た目の癒やしだけではなく、いのちのサイクルまで完璧なのですから、人間に対しては、もっと奥深い配慮があちらこちらに為されているのでしょう。

その【主】の奥深さを味わいつつ、感謝を新たにしたいですね。

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Posted by dblacks