チャンスが見える心の視力を磨きたい
「チャンスの女神の前髪をつかみなさい」と良く聞かされました。
その理由は「チャンスの女神の後ろ髪はカツラかも知れないから」というオチも合わせてですが・・。
思い返してみると、人生のあちらこちらにチャンスは転がっていました。それに、乗った時期もあり、それを避けた経験もあります。
でも、チャンスだということに気づかなかったことがあることを思い出しました。
どうして、気づけなかったのだろうと考えてみると、恐らくその時には、別のコトが気になって、そちらに意識がなかったという結論になります。
自分には何もないと感じていた頃には、何かを掴みたいと考えていたのですが、身体に力が入りすぎていたのでしょうか? 野球で言うところの三振の連続のような経験をした事もあります。
まあ、それも今になっては良い想い出で、その経験は非常に得がたいものだと考えることができています。
「なんでも欲しい」と考えると、全方位的な発想ですから、注意力が散漫になりやすいのではないでしょうか?
ある程度、自分の得手不得手を自己受容できた時点で、見る方向を制限することができるようになると、その範囲に集中できるようになります。
断捨離という奥深い感覚を合わせて考えると、自分のモノやスペースを整理整頓していくことで、心の整理につながり、雑念からも解放され、自分のリストアップした範疇で、新たな出会いや発見が起きるという不思議な誘導が見られるのです。
それは、自分の生涯の伴侶を得るようなステキな出会いに繋がります。
その為には、心をスッキリするステップも必要です。
目は、外の景色を網膜に映しますが、それを脳が判別するのだそうです。さらには、行動に出る判断は心の状態で変わると言いますから、物理的な視力は、ほんの一部に過ぎないのですね。
チャンスとは、自分が理想とするイメージだったり、魅力的だと感じたりなどと考えがちですが、そうでもないこともあります。
「チャンスの女神は絶世の美女では無いかも」と行ってしまうと、ルッキングズムだとの批判を受けるかも知れません。
別な言い方をすれば、「自分には魅力を感じないこと姿(外見)」が、チャンスと言うこともあるのです。
ここのところは、人生の不思議な部分です。
お金に困った人から、お願いだからこの土地を現金化して欲しいと頼まれて引きうけた土地が、引き取った価格よりも高価に売れたという話などもあります。
これは、狙っても再現性がある話ではありません。
でも、その様な局面で「火中の栗を拾う」胆力や財力などを養っていれば、可能かも知れません。しかし、その後の保証が無い話ですから、あくまでも人助けが前提で、それができるかどうかという所を試されるのですね。
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