人生はむせび泣きとすすり泣きとほほえみと O・ヘンリー
『人生は「むせび泣き」と「すすり泣き」と「ほほえみ」とで成り立っていて、わけても「すすり泣く」ことが一番多いということがわかってきた。O・ヘンリー「O・ヘンリ短編集(二)」(新潮社)』
人間は、喜怒哀楽とどのように付き合うのかという課題があると感じています。
多くの人は、泣くことでストレスを解消しているのでしょうか?
「涙活」というワードは、一般に定着してきたイメージもあります。
涙を流すという一面は、人間の不思議な調整機能なのだと感じています。
また、誰かの「ほほえみ」によって、ホッとすることもあります。
この、O・ヘンリーのフレーズは、人生の三要素を述べています。
それが、「むせび泣き」と「すすり泣き」と「ほほえみ」だというのです。
ほほえみは前述の通り、合わせ鏡のように、相手の表情に微笑みを見ると安心感が広がり、自分も笑顔になるのですね。
これが、無表情であったり、怒りが湧き出る表情だったりすると、不安感が増して、自分もその表情をコピーしてしまいます。
お互い様というのは、互いに作用し合うことも含まれているようです。
さて、「むせび泣き」と「すすり泣き」です。
人の目を憚らずに、「むせび泣き」をするという機会は、それほど、多くないように感じます。
大切な誰かを亡くした時や著しいダメージを受けた時に、感情が爆発的噴火で溢れ出るのをイメージします。
それに比較すると、「すすり泣き」をする機会は、O・ヘンリーが指摘するように、多くの頻度がありますね。
少し悔しい思いをした時や一日の終わりに、心の澱を洗い流すように、理解してくれないパートナーの前で抗議の意味を込めてなどなど様々なシチュエーションが思い浮かびます。
できるだけ、明日に繋がる涙を流したいと考えています。
オー・ヘンリー(O. Henry、本名:William Sydney Porter、ウィリアム・シドニー・ポーター、1862年9月11日 – 1910年6月5日)は、アメリカの小説家。主に掌編小説、短編小説を得意とし、約280の短編作品を残した。市民の哀歓を描き出した短編が多く、英米ではイギリスの小説家サキと並んで短編の名手と呼ばれる。映画化されたものも少なくない。
公金横領罪で服役中に小説を書き始め、出獄後はニューヨークに移って執筆を行った。(中略)
1904年、処女作『キャベツと王様』が出版され、1906年にも『四百万』が発表された。1905年、ヘンリーに宛てて一通の手紙が届き、それが縁で1907年11月27日、幼なじみのサラ・リンゼイ・コールマンと再婚。新居を構えると、娘のマーガレットを呼び寄せ、新しい生活を始めた。
しかし、過度の飲酒からこのころには体を壊しており、1908年には、家族はまたバラバラに生活をすることとなった。
1910年6月5日、主に過度の飲酒を原因とする肝硬変と糖尿病を併発し病院で生涯を閉じた。テキサス州オースティンにオー・ヘンリーハウスがある。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません