エリムでのオアシス体験 出エジプト15:27
『こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめ椰子の木があった。そこで、彼らはその水のほとりで宿営した。(出エジプト15:27新改訳2017)』
出エジプトのストーリーは不思議に満ちています。
紅海を前にして、後ろにはエジプト軍、前後を挟まれて万事休すと言う状況で、目の前の紅海の水がわかれて道が開かれました。
その後、水にありつけずに、やっと出会ったマラの水は苦くてとても飲めるモノではありませんでした。
しかし、創造主である神の奇跡によって、甘い(美味しい)水をたっぷり飲むことができました。
荒野のオアシスというのがピッタリな「エリム」に宿営することになったのです。
ここには、「十二の水の泉と七十本のなつめ椰子の木」と記されています。この「7」「12」がともに完全数です。
今の時代でも、人生には荒野もオアシスもあるのではないでしょうか?
そのような体験を積み重ねて、荒野の試練の意味を理解し、創造主である神の守りを感謝し、またオアシスの有り難みを深く感じていくのですね。
イスラエルの民は、荒野の大移動で、マラにもエリムにも立ち寄り、訓練を受けていたのです。
創造主である神の究極的な目的は、「イスラエルの民を、真の神を礼拝し、祭司としての役割を果たす」ことでした。
そのための訓練ですが、この当時の近視眼的なイスラエルの民には、さっぱり理解されませんでした。
創造主である神の求めは「神に従うと祝福を受ける」という、スゴくシンプルなモノです。
イスラエルの民の旅路を見ていると、このシンプルなことがどれくらい実現し難いかを感じます。
人間は、利己心から、自己中心的なふるまいをし続けることで、破綻への道を選択することになります。
この利己心に気づいて、軌道修正するきっかけになるのが、荒野の訓練による困窮と救いの体験です。
自分の人生は、試練だらけだと感じる人もいることでしょう。そこまでの体験はなくても、少なからずはあるのですね。
それを嘆くだけではなく、気づきのチャンスとして生かせると、人生の軌道修正ができる可能性があります。
『すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。(ヘブル12:11新改訳2017)』
人生のオアシスも確保しておきたいですね。
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