ずる賢い知恵者 vs 正直者 ドストエフスキー
『愚かさというのは簡単だし、他愛ないけれど、知恵はずるく立ち回って、姿を隠すもんだよ。知恵は卑怯者だが、愚かさは生一本で、正直者だからね ドフトエフスキー』
「人間は浅はかで愚かだ。」と感じている人は多くいると思います。
しかし、自分に対して、その言葉が向けられると、「そこまでではありません」と反応してしまいそうになりませんか?
「自分は賢くて、他人は愚かだ」という考え方が、どこかにあるのが、そうさせるのでしょうね。
両面共、持ち合わせているのが人間だと理解しています。
人間が成長して、少し知恵がついてくると、それを何に使うのでしょう?
そのような問いかけが聞こえるようです。
ドフトエフスキーのフレーズによると「知恵はずるく立ち回って、姿を隠す」と言っています。
何だか、よくわかりますね。
どうしてか?
それは、私の中にも、それがあるからです。
多くの場合、賢さや知恵は、悪用されてしまいます。
愚かで正直な方が素だし、理想なのに、偽りの衣を着て、実体を覆い隠そうとしてしまいます。
それは、まるでエデンの園のアダムとイブのようですね。
絶えず、自分の愚かを誰かに責められているような感覚がある人もいます。
でも、自分の愚かな部分を認めるだけで、自責感は薄くなります。自己受容ですね。
そうすると、知恵を無駄に悪用せず、有効活用できる可能性が出てきます。
後世に名を残す文豪は、人間の実体を巧みな文章で描写しています。
時代が多少変わっても、人間は同じ人間なのですね。
カラマーゾフの兄弟 新潮社
『カラマーゾフの兄弟』(カラマーゾフのきょうだい、露: Братья Карамазовы)は、ロシアの文学者フョードル・ドストエフスキーの最後の長編小説。
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