天の光景 御座の前は水晶のような海 ヨハネの黙示録4:6

『2 たちまち私は御霊に捕らえられた。すると見よ。天に御座があり、その御座に着いている方がおられた。3 その方は碧玉や赤めのうのように見え、御座の周りには、エメラルドのように見える虹があった。4 また、御座の周りには二十四の座があった。これらの座には、白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていた。5 御座からは稲妻がひらめき、声と雷鳴がとどろいていた。御座の前では、火のついた七つのともしびが燃えていた。神の七つの御霊である。6 御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のようであった。そして、御座のあたり、御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。(ヨハネの黙示録4:2-6新改訳2017)』

パトモス島に幽閉されていた使徒ヨハネは、【主】から幻を見せられて、その内容を記録しています。

ここでは、天の光景を描写しています。

人間は、未知の空間を見せられても、それを描写・表現する事は難しいですね。また、人間社会には、「コトバの壁」がありますから、それを超えて理解を進めるのには、多くの課題があります。

御座についている【主】について「その方は碧玉や赤めのうのよう」と表現されています。

また、「御座の周りには、エメラルドのように見える虹」があるとも記され、さらに、「御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のよう」と表現されています。

これは、創造主である神【主】の絶対的権威の表現が、宝石で描写されました。それは、大祭司の胸にイスラエルの12部族を表現する12個の宝石がつけられていたことにも関連しています。

その関連付けは、本物のユダヤ人(【主】の宝の民)には、わかりやすいという【主】の配慮でもあります。

また、宝石の表現は、エゼキエル28章に記されている「天のエデン」は宝石に輝く所としても描写されています。

「水晶に似た、ガラスの海」という表現は、出エジプトの後に、モーセがシナイ山に登った時に広がっていた光景(出エジプト24:9-10)と同様の描写がなされています。

天は、間違いなく「光に包まれた所」です。そこで、途切れることがない「真の礼拝」がなされているのです。それは、永遠に途切れることがないようです。

ここに出てくる「白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たち」は、携挙された聖霊のシルシを受けた信仰者たちの集合体である「教会」を意味しています。

ディスペンセーションの立場をとれば、「患難期前携挙説」なので、ペンテコステ以後の信仰者は、患難期を免れると考えられています。その理由は、ヨハネの黙示録の患難期に関する箇所には、教会に関する記述がないと言うことからです。これを考えると、今の時代に信仰を持つのがベストチョイスなのではないでしょうか?

「御座の前では、火のついた七つのともしびが燃えていた。神の七つの御霊である。」と記されているのは、聖霊の7つの性質(働き)を表しています。

そして、「御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。」は、4体の天使を意味しています。この天使達は、特別な任務があり、その姿も一般天使とは違うようです。

この箇所は、天の光景を垣間見ることができます。これは、地上に生活する人間の想像を遙かに超えていますので、にわかには信じがたいと思うかも知れません。

実際の光景を見た時に、どのように感じるかを楽しみにしておきたいと考えています。

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Posted by dblacks