生活習慣の変化は気づかないうちに起きている
私がイメージしてるのは、生活の中での習慣化です。
それは、ガチガチのものと言うより、自然体で取り組めるレベルのものです。
でも、生活の中では、自分が無意識のうちに習慣化が進んでいるコトがあります。
それらが、生活習慣病や不登校につながるとすれば、複雑な気持ちになりますね。
「どこかに行くのが楽しみ!家にいるのは退屈だ」などと行動していても、いつのまにか楽しみを感じなくなったり、興味を抱かなくなったり、人間の関心は変化していくものですね。
その関心に合わせるように、人間の感覚や身体も、無意識下で変化をしてしまうようです。
それが、顕在化する時には、身体に変調を来して、朝だけ熱発をしたり、じんましんがでたり、様々な状態が表面化します。
そうなると、仕事や学校を休まざるを得なくなります。
その症状が、幾分治まっても、意識とは裏腹に身体は言うことをきかない事もあります。
本人が戸惑うほどの混乱は、家族も巻き込み、一大事へと発展していきます。
カウンセラーの諸富祥彦氏によると、連続欠席が3日を過ぎると、学校に行けない「からだ」に変化してしまう可能性が高いとのことです。
それを「自己崩壊の体験」と表現します。学校に行けていた自分が行けなくなる体験はそれくらい衝撃的な事なのです。
「先生、友達、学校に対する期待の崩壊」だったり、「自分が加害者になる懸念」「他人に合わせることの限界」など、当事者の気持ちの変化は、さまざまです。
その価値観の変化は、ネガティブなことではありません。
この不登校体験は、本人にとっては、「自分が自分として生きるために必要な体験」です。
精神療法家の増井武士氏は「不登校の子は、不登校になることができる”能力”がある。自分が自分であるということを守る能力があるのだ。」と言っています。
これが、不登校が防衛本能による行動であると言える理由です。
ただ、課題は「自分を取り戻し、自分が許容できる場所」を探すと言うことです。
これは、生きている限り、一生ついて回ることです。
人に合わせて、自分を抑えて、流されて生きる処世術もありますが、一見険しく見える修行「不登校」を選ばざるを得ない状況にどの様に向き合い、どのように対処していくかの胆力が問われる所です。
自分の日常生活での変化を感じるチカラも大切なのですね。
参考資料:学校に行けない「からだ」諸富祥彦 著
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