悪妻vs良妻 ワルい夫vs良い夫  箴言12:4

『4 しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ。 箴言12:4新改訳2017』

「良妻賢母」と評されるのは、その人のほんの一面に過ぎません。

人間ですから、表の顔も裏の顔もあります。

ソクラテスも聖書に登場するヨブも「悪妻」を持ったという評価があります。

恐らく、激しい一面を評してのことでしょうね。

しかし、彼らは、その悪妻に支えられて、今日まで名を残しているという事実をどのように受けとめれば良いのでしょうね。

それは、悪妻の貢献であれば、「夫の冠」という良妻という評価があっても良さそうなものです。

よく「妻」の評価を取り上げられる世の中ではありますが、「逆も真なり」ですから男性も気を引き締める必要があるのではないでしょうか?

日本でも、女性の活躍を叫ぶ声が大きくなり、共働きの子育て世代も急増しています。

それを取り巻く環境も様々で、保育環境がいくつかのオプションがあるケース(実家やパートナーの実家など)は、恵まれていますよね。それがあっても、何ともならなそうなケースもあるようです。

でも、それさえも無いと、孤立無援に陥ることが考えられます。

そもそも、支えきれない状況を回避する方策が必要ですよね。

その方針の選択を間違うと、その時には分からなくても、後に家庭崩壊を招く可能性もあります。

女性の活躍というキーワードのウラには、そのリスクが意図され、巧妙に隠されているということも考える必要性を感じています。

さて、「しっかりした妻」は、家庭を切り盛りし、夫を支え、時には叱咤激励し、家族を支える重大な任務があります。

それは、多くの場合、無報酬ですから、「愛」が伴わないと継続不可能です。

その「愛」は、どこからくるのでしょうか?

私は、「いのちの源」から無意識に得ているのだろうと考えています。

しかし、「いのちの源」を意識して、理解している人は、【主】への感謝が伴うので、その「愛」にぬくもりが増し加えられるのです。

妻自身が、エネルギーに満たされ、それを実感していればなおさらです。

この一点は、いのちを育む女性ならではの特権なのかも知れませんね。

それを通じて、男性も【主】の愛が感じられると、さらに、ステキな世の中になることが期待できますね。

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Posted by dblacks