もらう有り難みと差し上げる喜び
予期していない何かをもらうと、うれしい時があります。
自発的に選んだものを誰かに差し上げると、予想以上に喜んでもらえることもあります。
『…主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことば… 使徒の働き20:35新改訳2017』
聖書には、このように書いてあります。
与えると言っても、受け取ってくれる誰かがいなければ成立しません。
差し上げるのも自由意志ならば、受け取る側も自由意志です。
断られることもあると思います。
でも、これが成立するならば、その関係性は、すばらしい事だと思います。
差し上げる側にも喜びがあり、受ける側にも有り難みを感じるという訳です。
これには、大切な要素が含まれているのではないかと、私は推察しています。
それは、受け渡しに「愛」があり、「条件は伴わない」ことです。
条件とは、何かをしてくれるなら、これをあげても良いという考え方です。
愛は、無条件の世界です。
そして、無代価ではないでしょうか?
「ギフト」という愛の贈り物は、その間に幸せを作り出すのではないでしょうか?
セールスにおどらされる「ギフト」には、「反しがついた釣り針」が仕込まれているのではないかと感じることがあります。
何かの付帯条件がついていたりして、それに気づくと、幸せが遠のいていくような気がするのです。
もちろん、送る側にその意図がなくても、アプローチが悪いと、相手を警戒させてしまうこともありますね。
ホンワカした関係性を期待しながら、両者の間に漂うユトリを味わいたいと考えています。
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