無口でも雄弁 ラ・ロシュフコー
『声の調子や目つきや姿のうちにも、取捨選択したことばに劣らない雄弁がある。 ラ・ロシュフコー『道徳的反省』』
無口の人がたまに発する一言は重たいと感じるコトがあります。
それが、普段からよく話し人よりも、雄弁だったりします。
このフレーズは、「声の調子や目つきや姿」について、述べています。
声の調子は、鼻声だったりとか、いつもよりも声が小さいと感じたり、ニュアンス的なことで、違いを察知することができます。
姿についても、いつもと違う格好をしていると感じれば、その人が発したい何かもメッセージを受け取ることができるかも知れません。
目つきは、案外、分かりやすいかも知れません。
特に、軽蔑の眼差しなど、嫌悪感を示すのは、口に出さなくても、実に雄弁です。父親への嫌悪感を示す娘の眼差しなど、イメージしやすいですね。
人間は、表現に困った時に、ことばに詰まることがあります。
その様な時には、取捨選択する沈黙の時も必要になります。
そうやってひねり出した言葉は、珠玉の一言か、はたまた苦し紛れのため息かどちらなのでしょうか?
それよりも、目つきや表情で、心情は表現されているので、何かで体裁を整えようとしても手遅れなのかも知れませんね。
「目は口ほどにものを言う」とも言います。
教訓としては、隠せない感情があると言うことでしょうね。
気楽に、反応できる素直さも大切にした方がよいのかも知れません。
隠そうとしても、隠しきれない領域はあるのですからね。
ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世(François VI, duc de La Rochefoucauld, 1613年9月15日 – 1680年3月17日)は、フランスの貴族、モラリスト文学者。
生涯
名門貴族の生まれであり、多くの戦いに参加した後、いわゆる『箴言集(しんげんしゅう)』を執筆した。彼の作品に見られる辛辣な人間観察には、リシュリューと対立して2年間の謹慎処分を受けたことや、フロンドの乱でジュール・マザランと対立したことなどで味わった苦難が反映されているとも言われる。宗教的にはジャンセニスムの立場に近かった。
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