ユーモアは簡単なようで奥深い
お笑いとユーモアは、方向性は似ていても同一ではないと考えています。
また、ユーモアは、万人共通に通用するのでもありません。
自分がユーモアのつもりで、表現したことも、不快に感じられたりして、不発どころか、総スカンなんて悲しい結果をだすこともありますので注意が必要ですね。
志村けんさんのお笑いの原点は、「言葉が通じない人と時間を持て余した時に、おならが出てしまい。結果的に、場が和んで、打ち解けて、いい雰囲気になった」ことだと聞いたことがあります。彼なりのユーモアを感じる部分もあります。
ことばという、コミュニケーション手段が通用しなかった所に、万人共通の「おなら」という要素が、共感を生み出したのでしょうね。
人を何とか笑わせたいという動機が、緊張感を緩和して場を和ませるコトだったりしますね。
すさんだ雰囲気で育った芸人さんは、「少しでも、場を和ませようと、お笑いを志した」ということもありますね。
お笑いもユーモアも、送り手受け手が、うまくマッチするところに、大切な要素があるように考えています。
筆者は、ケツバットなどの体罰系のお笑いは、引いてしまいます。
もっと、ほんわかしたユーモアを求めているのかも知れませんね。
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