不登校のタイプやきっかけについて
①葛藤型 行きたいけれど行けない
②低エネルギー型 つまらない。面倒くさい(葛藤なし)
③実存型 自分でも理由がよくわからない(曖昧型)
④混合型 葛藤型、低エネルギー型、曖昧型のミックス
参考資料:学校に行けない「からだ」p52より 諸富祥彦 著
情報整理のための要約を試みます。詳しくは、参考資料をご覧ください。
①葛藤型 古典的な不登校の型で、このタイプは行かなくてはいけないと思っていたけれど学校に行けず、自分を責めている。神経症型、対人不安型と呼ばれるタイプも含まると考えた方が良い。
対応の原則は、「基本的には」「待つ」のが望ましいようです。あるきっかけを逃さず、一気にかかわっていくことで変容が期待できます。
②低エネルギー型 つまらない。面倒くさい(葛藤なし)
最近増えているのが、このタイプの不登校で、エネルギーそのものが低いことで、「何をするのも面倒くさい」「何をしてもつまらない」という感じで、葛藤がない。「わからない」とも言えないほど言語化するエネルギーがない。
このタイプは、ほうっておいたら学校への意欲・関心を示さないので、先生が定期的に話をしたり友達から誘ってもらうなど、少しずつ登校刺激を与えることで変容が期待できます。
学校には行かないけれどゲームセンターには通うといった、「怠学型」の非行傾向のあるタイプも、基本的には登校刺激を与えることが大切です。
③実存型 自分でも理由がよくわからない(曖昧型)
自分でもなぜ行けないのか理由がわからない、最近増えているタイプの不登校で、 藤岡(2016)は曖昧型と呼び、大石(2005)は、低エネルギー型とこの二つをあわせて「なんとなくの不登校」と括られている。
このタイプは「学校に行かなくては」と思っていますが、「身体感覚の変容」「ズッシリと重くなったからだ感覚」に圧倒され、自分が壊れてしまいそうな緊迫感があり、それと向き合うことができないまま時間が過ぎていきます。ただただ、わけがわからないまま時間が過ぎていくのです。
このときに支援者がしてはいけないことは、本人を追い込まないことです。本人の心をオーバーヒートさせないように過度の負担を回避し、自身の体験を受け入れることができるまでにはかなりの時間がかかることを覚悟して、その「時」を忍耐して待つ事が大切なようです。けっして焦らないことが大切です。
支援者は、曖昧さを曖昧なままにしておくこと。本人が曖昧なままにしておくことを許すこと。むしろその「曖昧な身体感覚」を共有し、共に味わい、体験することです。
④混合型 葛藤型、低エネルギー型、曖昧型のミックス
不登校の中で一番多いのがこの混合型で、「不登校全体の半分を占めている」というのが、臨床経験から得た諸富祥彦氏の感覚です。
不登校の子どもと実際にかかわっていると、多くの場合、一人の子どもの中にさまざまなタイプが入り混じっていることが多いものです。特に不登校が長期に及んでいる場合は混合型であるケースがとても多いです。
これらの分類が、すべてを網羅するわけではないでしょうが、当事者の状況を探りながら共有する指針としては一つの「ものさし」として、活用できますね。
諸富祥彦氏の臨床経験を惜しむことなく分かち合って下さることは、とても有難い事です。
不登校に限らず、人生の中で何かに躓いた時にも、参考になると私は考えています。
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