雑念が消せないなら、出す選択を

腫れ物ができたとしたら、どの様に対処しますか?

例えば、水疱であれば絞り出したり、硬いモノであれば皮膚を切って、取り出すというような対処が必要なケースもあるようです。

本来なら、物理的なカタチがない「念」は、さほどの影響を受けないと捉えられがちですが、現実には手を焼いている人が、意外にも多いのではないでしょうか?

それは、人間が本能だけではなく、様々な「念」に基づいて、動かされているのだと考えられます。

ほとんど無意識でも、その影響が大きいのです。

また、そこにこそ、多くの宝物が潜んでいるとも言えるのではないでしょうか?

雑念は、本来、雑ではなく、多くの「念」の集合体です。

それらが、整理されない状態を雑念と取り扱ってしまうのです。

まるで、こんがらがった糸のように、カオスな状態がそこにあるのです。

これが、何を誘発するかと言うと、堂々巡りです。

それが、時には、負のスパイラルになってしまうのです。

思考の整理の達人ならば、自分自身の中で、「念」の仕分けができるのでしょうね。

でも、私には、それが難しい部分もあります。

それができないなら、雑念は不要なモノという考え方もできます。そう考えると、それを消そうと躍起になります。

ですが、ナカナカ消えるどころか、綿飴のように膨らんでいくという逆転現象が起きてしまうのです。

そこで、逆転の発想です。

自分の中に湧いてくる「念」をアウトプットしてみるのはいかがでしょうか?

裏紙に書き殴るのもひとつ、ブログに書いていくのもひとつ、様々な出し方がありますね。

もちろん、プライバシーは大切にする必要がありますね。

さらに、出した「念」の整理整頓も大切ですね。

第一段階は、出すコトでスッキリできるというメリットがあります。

また、自分だけではなく、他人にも可視化されたことによる発展や成長に繋がるというケースもあります。

自分の中で、抱えて、悶々としているのとは、大きな違いがありますね。

自分を支える「念」の居場所を確保する為にも、「出す」という選択も良いなと考えています。

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Posted by dblacks