友人を得る唯一の方法 エマーソン
『美徳の唯一の報酬は美徳であり、友人を得る唯一の方法は、自らが友人となることである。エマーソン』
「友」というと、聖書のヨブ記に出てくる苦難のヨブに寄り添い、語る友人を思い出します。
ヨブが、家族や財産をなくして意気消沈しているのに、ベラベラとお説教しているなんて、という批判もよく耳にします。
しかし、ヨブ記2:13に記されているのは「13 彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みが非常に大きいのを見たからである。」とあるので、彼らには、ヨブに寄り添う決意があり、とことん寄り添いながら意見しているのですね。
落ち込んだときに、一番の慰めになるのは、浮ついた慰めではなく、そばにいて寄り添う事だという示唆を汲み取ることができます。
冒頭のフレーズは、人間関係をそのように繋いでいくのかについてのアドバイスです。
美徳とは、「ほめるべき、うるわしい徳。人として望ましいりっぱな心のあり方や行い。(Oxford Languages)」という意味で、対義語は「悪徳」です。
二元的な視点では、自分が、悪徳ではないという立ち位置を守ろうとするか否かですね。
また、「友人を得る唯一の方法」では、「自らが友人となる」とあります。
「一年生になったら、友達100人できるかな?」なんて歌がありますが、できたとしてもそのおつき合いは大変でしょうね。
数人の濃いめの付き合い方ができれば、穏やかで良好な人生が送れるのではないでしょうか?
人間は、他人に対する要求が激しい一面もあります。
相手に期待しすぎるのです。
お金やモノを強請るかのような付き合い方もありますが、その様な関係は、すぐに破綻を迎えます。
相手の存在を意識して、お互いに配慮し合って、より良い刺激をもらい合うという絶妙な関係性に至るのが私にとって理想的です。
時には、プレゼントを交換しても、よりよい潤滑油になると思います。
でも、モノよりも、気持ちを大切にしたいですね。
友人は、おつき合いできるかどうかですから、身の丈に合ったもの同士がよいと考えています。
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