叱責を受け入れる器量 箴言1:23
『23 わたしの叱責に立ち返れ。おまえたちにわたしの霊を注ぎ、わたしのことばを知らせよう。 箴言1:23 新改訳2017』
最近、叱られたのはいつでしょうか?
日常的に叱られ続けている人生も、ある意味では幸せなのかも知れませんね。
「誰も、自分がしていることを止めてくれなかった」と後悔する犯罪者の告白を耳にすることがあります。
近年の養育環境を考えれば、放任されて成長している人の数も増えているのでしょうか?
一方、過保護過干渉の影響も減ってはいない状況なのかも知れませんね。
「程よい加減」になると良いですね。
この箴言を記させたのも、創造主である神【主】です。
【主】は、最初のアダムを「土の塵」で造り、魂を授け、いのちの息を吹き入れました。
人間は、肉体的に生きているのではなく、霊と肉体を合わせて生かされているのです。
そのバランスが崩れると、何らかの影響が出てきます。それは、身動きがとれなくなったり、何かで空虚さを埋めようと衝動的になったりします。
アダムとエバが、エデンの園で犯した失敗は、人間のDNAを傷つけてしまいました。それは「罪」が侵入したからです。これをもれなく、全人類が引き継いでいるのです。これの影響が非常に大きいです。それによって、善を求めようとしても、悪に留めようというパワーが働いてしまうからです。
創造主である神【主】は、まず「愛」を示し、「義」を果たされます。その「愛」の中にも、「義」が立てられているのです。
不思議なコトに、圧倒的多数の人は、「愛」よりも「義による裁き」に意識を奪われて、【主】を否定し、非難してしまうのです。
これは、受け継いだ「罪」のなせるワザなのです。
この箴言は、まず「愛」に注目するようにとの導きです。
その「叱責」が入口とは、幾分かの勇気が必要ですが、その入口に到達できれば、一人一人の霊にまで、【主】のケアが届くというのですから、これを有効活用したいですね。
忙しい中でも、少し、とどまって、自分自身の思考の整理をしてみると、エネルギーの有効活用にも繋がりますから、是非オススメします。
大切なのは、「覚悟」と祝福を受け入れる「器量」なのですね。
失敗続きの人生をおくりながらも、【主】に用いられていた「ダビデ王」ですが、その理由は、素直さと謙虚さにありました。
人生に失敗は付き物ですから、クヨクヨせずに、再チャレンジができるというお手本ですね。
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